漆のはなし
漆とは
ウルシの木は東アジア〜東南アジアにかけて分布し長い歴史を持ちます。日本ではおよそ9000年前、縄文時代からもその痕跡が発見され塗料や接着剤として活用されていたことがわかっており、現時点では世界最古の漆製品です。気候やその土地ならではの素材などの条件が組み合わさり、そこに住まう人々が生活に使うものを自ら作る、つまり風土から工芸が生まれ育っていきます。漆芸も日本の風土に合わせて成長してきた工芸のひとつです。
漆は「乾く」と言いますが、水分が抜けて乾くのではなく、湿度が60%以上、温度が20度~30度という条件が整ってはじめて、空気中の酸素と反応して硬化していきます。高温多湿の日本の気候にも合い、木造が中心の日本において古代から近代まで神社仏閣の建造物や調度品、武具などにも多用され、漆は日本文化に密接に関わってきました。
また漆は水に溶けず、酸やアルカリにも非常に強く堅牢です。明治7年にウィーン万博の出品物を載せたフランス船ニール号が伊豆半島付近で沈没する事故があり、1年ほど後に一部の積荷が海底から引き上げられましたが、漆器は全く損傷がなくフィラデルフィア万博に再出品されたという話が有名です。
さらに化学反応で硬化するため乾きの調整が可能で、湿度や温度、添加物によって自在に硬化速度を操ることができ、その特徴から様々な使い方が開発され今に伝わります。塗料としての使用がよく知られますが、接着剤やパテ、素材に染み込ませて吸い込みどめや補強にも使われます。塗料としてだけでなく様々な使い方があり、あらゆる可能性を秘めた素材です。
漆の採取
ウルシの木が漆を採取できる大きさになるまでには10~15年ほどかかります。ウルシは自生が難しい木であるため、種や苗木の頃から採取まで、人による手入れが欠かせません。丹念に育てたのち、幹に傷をつけて一滴ずつ漆を採取します。約5ヶ月かけ、大変な労力を経て1本の木から採れる漆はたった200cc、牛乳瓶約1本分です。
幹に付けた傷から滲み出した漆を掻き取ることから、日本では漆の採取のことを漆掻き(うるしかき)と言います。漆は外樹皮の内側、木質部を形作る形成層との間にある樹脂道と呼ばれる細胞の隙間に存在します。樹脂道はほんの薄い層にしか存在しないため、漆を採る際には上手く外樹皮を削り取り、かつ削りすぎない熟練の技が必要になります。日本では一文字の傷をつけて滲み出てきた漆を垂れないうちに小さなヘラで掻き取ります。幹には一定の間隔で何本も傷を付けておき数日ごとに傷を増やして採取していくので、シーズンが終わる頃にはウルシの木はもう傷をつけるところが無いくらい満身創痍になります。
また、採取の方法には養生掻き(ようじょうがき)と殺し掻き(ころしがき)の2種類があります。養生掻きは数年に分けて少しずつ漆を採る方法。殺し掻きは6〜10月の1シーズンで漆を採り切る方法です。どちらも最終的に採れる漆の量は同じとされていて、漆を取り切った木は伐採し、新たに生えて来た芽を育てていきます。昔は漆の実を蝋として活用していたため弱らせないように養生掻きを行っていましたが、現在の日本では殺し掻きが主流になっています。
日本では中国の漆を多く輸入しています。中国の漆掻きは数年に分けて採る養生掻きが主流で、採取の仕方も日本とは異なります。外樹皮をV字型や木の葉型(地域によって異なる)に切り取り、切り込みの下方に貝殻や小皿を差し込んで漆が溜まるのを待ちます。産地によっては漆の粘度が高いため、刷毛でこそげ取るところもあるそうです。
日本も中国もウルシの種類は全く同じなので漆にもほぼ差はありません。ただ育つ土地や採取方法が異なるためか、日本産の方が伸びが良いと言われたり、中国産の方は乾きが早いと言われたりします。どちらを使っても仕上がりに差はないですが、どうしても日本産の方が価格が高いため、用途や目的で日本産と中国産を使い分けています。
漆の精製
採取された漆は漆店により精製されます。
採ったままの漆を濾過してゴミを除去し、水分をとばして撹拌し、油分や様々な調合によって初めて私たちが扱える漆が出来上がります。
主な種類としては以下のものがあります。これは京都での呼び名で、地域によって呼び方が変わることもあります。
生漆:採取した漆を濾過してゴミを取り除いたもの。最初の下塗りや下地の材料、拭き漆など様々な場面で使用します。生漆の状態では漆は乳白色をしています(硬化すると暗い褐色になります)
赤呂:ナヤシ(撹拌し漆の中の水系成分を細かくする)とクロメ(加熱して水分を飛ばしながら撹拌し、さらに水系成分を細かくする)を行うことで飴色になり、透明で粘りが出た漆。精製した漆の基本の状態で、塗りや蒔絵など仕上げの工程のあらゆる場面で使用します。これに顔料を混ぜると色漆になります。よく見る赤い漆はこれに弁柄か赤い顔料が混ざっています。
黒呂:ほぼ赤呂と同じですが、クロメの段階で鉄粉を加え、化学反応により黒色に変化させた漆です。いわゆる漆黒は黒呂の色です。顔料を入れて黒くしているわけではなく、漆自体が黒くなっているため透明感があり、奥行きのある深い黒を表現できます。
他にも、例えば早口(はやくち:硬化が早め)や遅口(おそくち:硬化が遅め)と呼ばれる硬化速度の調節や、汁口(しるくち:柔らかめ)や粘口(ねばくち:かため)などの硬さの調節、艶の有り無しなど様々な調整を行います。やや汁口で乾きは遅いものが欲しい、艶は半艶が良いなど、漆店は作り手の細かな要望にも応じてくださり、私たちにとってとても心強い存在です。
また漆店では、新たな漆や道具の開発を積極的に行っていて、従来ガラスへの食い付きが悪かった漆の特徴を改良したガラス用漆、艶や耐久性が格段に上がった高撹拌漆、漆芸作業用の道具の改良、発色のよい顔料の開発など、技術の進歩とともに漆や材料も日々進化を続けています。作り手の要望から新たな商品が開発されることもありますし、作り手側もそういった新たな素材や道具に触発されて物作りをすることが多々あります。漆屋さんと作り手がお互いに刺激し合うことでより良いものがどんどん生まれてくるような、良い関係を築きたいと思います。
漆は循環する
国産漆の生産は年々減少し、国内の漆の自給率は3%程度で、現状では残りの大半を中国から輸入しています。日本では岩手県の浄法寺や京都の夜久野などでウルシの木の植樹に取り組んでおり、国内産の漆の自給増を目指しています。
漆器づくりは1本の木を植え、育てることから始まり、人の手を介して丁寧に採取し、精製され、作り手によって暮らしにまつわる様々なモノが生まれます。作業をして余った漆はまとめて取っておいて別の下塗りに使用し、最後の1滴まで大切に使い切ります。また、漆器は長く使える丈夫さがあり、使ううちに欠けたり、すり減ってしまったときは修理をして再び使い続けることもできます。モノを消費するのではなく、大切に長く使い続けることはゴミを減らすことにも繋がりますし、漆器をつくる漆や木、布は土に還る素材で出来ています。植樹によって健全な環境を保全し、自然の恵みから漆器を作り大切に使う。生産工程でも、使うことでも環境にやさしい、そういった循環の輪のひとつのピースとしてsuosikkiも関わっていきたいと考えています。
素材との組み合わせ
漆は木、布、紙、金属、焼き物、ガラス、樹脂などほとんどの物に塗る事ができます。技法の中でも螺鈿(貝)、卵殻、金属など色々なものと組み合わせることで多様な表現を作り出すことが可能です。こういった自然素材は同じものは全くなく、同様の仕上げでもそれぞれ異なる表情を持つところが魅力です。素材の特徴や組み合わせで、漆の可能性はどんどん広がります。
suosikkiでは磁器に乾漆粉(漆を固めてから砕いて粉にしたもの)と螺鈿(貝)で蝶々を表現した箸置き「tefutefu」という商品があります。磁器のすっきりとした白色が春夏秋冬をイメージした4パターンの漆の色を軽やかに見せてくれます。乾漆粉を蒔いて、漆で2色のグラデーションをつけながら塗り固めており、一般的な漆のイメージであるつやつやした光沢とは違い、柔らかく優しい色味と質感をだすことを目指し、蝶々がふんわりと舞っている印象を表現しています。磁器の設計は3DCADで行っており、型取り成型することで量産しやすいことにもこだわりました。
育てる漆器
使うほどに深みを増す素材
漆は自然物でありながら、硬化後は硫酸(金とプラチナ以外の金属を溶かす)や王水(金とプラチナを含む多くの金属を溶解できる)などの薬液に侵食されない強靭さを持っています。
また硬化後も時間をかけて少しずつ硬度を上げて行くのも漆の特徴で同時に透明感が出てきます。この特徴を活かした溜塗という技法があり、下塗りの漆の上に半透明の漆を塗ることで、上塗りの漆が薄い淵や角の方から下塗りの漆の色が透けて見え、使い込むほどに透け感が強くなって色の鮮やかさが増していきます。
suosikkiでも溜塗を用いた赤色と緑色の「溜箸」という商品を作っています。お箸の断面が八角形になっており、その八角の角から下塗りの赤と緑が透けて見え、落ち着いた色味でありながら艶やかさのある雰囲気になっています。
漆器を長く使うコツ
毎日少しの手間をかけることで、漆器はぐんと長持ちします。お気に入りの器を長く使うために、次の5つのコツを試してみてください。
①日の光が長く当たると、紫外線により漆の劣化が早まってしまいます。直接日光が当たらない場所に保管しましょう。
②漆器に傷が入ると、そこから水分が入り込んで漆が剥がれることがあります。金属製のカトラリーなど硬いものは避けて、木製品や角の無いもので優しく扱うことで永く使うことができます。
③漆器を洗う際は手洗いまたは柔らかいスポンジで洗いましょう。固まったご飯粒などは、数分水を張っておくと取れやすくなります。
④一晩など長時間の浸け置きは水が木に染み込んで漆の塗膜が剥がれる原因になります。使用後はなるべくすぐに洗って乾燥するようにしましょう。自然乾燥でも大丈夫です。
⑤電子レンジや食洗機、乾燥機は木の変形や塗膜が傷む原因になるのでご遠慮ください。
これらの適切なお手入れをしていただくことで長く使うことができます。
漆器は長い間使ううちに摩耗して塗装が薄くなっていきますが、塗り直しなどの修理をして長く使うこともできます。毎日使って洗って拭いて、とお手入れをして長く使うことで愛着が増し、自分だけの漆器に育っていきます。ぜひその変化を楽しんでみてください。
寄り添う漆器
昔から食卓に馴染んできた漆器
樹液である漆は木材と相性が良いこと、また日本では木造が中心であったことから、漆芸は木材を素地にすることが多く、その技術や意匠が発展していきました。木と漆の組み合わせは軽く、割れにくく、食器を重ねたりカトラリーがあたった時も大きな音が鳴りません。また、熱伝導率の低い木は熱いものを盛っても食器が熱くなりにくく、保温・保冷効果があります。
木材は板状や棒状のもの、挽物の加工に向き、素材に合った用途として漆器は作られてきました。お箸も様々な樹種の木材が使われ、太さや長さ、重さなど好みによって選ぶのも楽しいものです。汁椀に温かい汁物を入れてそっと手で持った時の安心感は今日も食事をいただくことに感謝する瞬間です。陶磁器やガラス、プラスチック以外にも、使い方に合わせて漆器を取り入れることでバリエーションが増え、食卓に並ぶ食器が豊かになります。
食卓を彩る漆器
漆器は普段使いの食器からお正月やクリスマス、お誕生日、節句、お食い初め、贈り物などのお祝いの時にも幅広く使うことができます。お祝いの場では特別感が出て一気に場の雰囲気を引き締めてくれますし、普段の食事でも漆器に盛ると陶磁器とは違った味わいが出ます。普段は塗りが堅牢で摩耗しにくいお箸を使い、特別な時には螺鈿(貝)などが施された華やかさのあるお箸と使い分けるのも素敵です。また春夏秋冬の季節や献立で使うお箸を変えるなど色々なお箸を日替わりで使うと、長持ちするだけでなく、テーブルコーディネートの印象が変わって楽しくなります。和洋中など様々な文化の料理が並ぶ現代の食卓において、漆器は様々なシーンに合わせて使い分けを選ぶことができる多様性があり、重宝するアイテムです。また逆にひとつの漆器が普段使いからお祝いの時まで使えるという懐の深さも併せ持ちます。好みや生活スタイルに合わせていつもと違う使い方をすると新しい表情を見せ、テーブルに彩りを与えてくれることでしょう。